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2008年12月 8日 (月)

生い立ち (5) 崩壊

私達兄弟にとって、電化製品などの生活用品と
引き換えになったものがある。


・・・母親との時間である。

野菜などの食料品を貯える冷蔵庫と、テレビさえあれば、
5歳の私ともうすぐ3歳になる弟の2人が、
家で留守番をすることが可能であることは、母親には理解できていた。


父親が家に帰ってくる日は次第に少なくなっていった・・・

母は、毎朝私達2人を自転車に乗せ、近くの保育園へ送り、
そのまま勤めに行くようになる。

最初の頃は、夕方に母が迎えに来て、3人で「夕焼け小焼け」を
歌いながら家路に着き、母親の作った夕食を3人で食べていたけれど、
今思い起こせば、私達親子3人が食卓で顔を見合わせながら
食事を共に出来たのは、せいぜいこの頃までである。


いつしか、母親は夜まで仕事をするようになって、家に帰ってくる時間が
段々と遅くなってきた。
そのため、私は、朝出かける前には必ずヒモにくくりつけられた家の鍵を
首に巻かれ、保育園の帰りは弟と2人で歩いて家に戻るようになった。

いわゆる「かぎっ子」の生活が始まる。

誰もいない家に戻ると、我々は自分達で晩飯をこさえて食事を済ませ、
母親の帰りを待つという生活が続く。

007


2歳の頃からの記憶を鮮明に思い出せる私にも、
この頃から小学生に入学するまでの1年半近くの記憶だけは、
まるで飛んでしまっていた・・・・

と言うよりも、自分自身のなかで封印してしまっていたのかもしれない。


その1年半の間に起きた出来事の記憶が初めて蘇ったのは、
私が大人になり、結婚をし、息子が出来て、その息子がちょうど
あの頃の私と同じ歳になった時であった。


   ---------------------------------------------

私が30歳、息子がちょうど3歳の時に、私は初めて一軒目の自分の店を
開いた。
まだ独身だった頃に買った家のローンもあり、店を起動に乗せるために・・・
・・・・それよりも、潰さないために必死で働いた。

店の場所は、魚市場などがあるダウンタウンから車で40分ほど東に行った
場所にあるのだが、家の場所はその店から、さらに東に40分以上かかる
場所にあった。
それはどういうことかと言えば、家から市場経由で店にたどり着くのに
120分(2時間)を要するということだった。

何でそんな不便な場所に・・・と考えたが、ほとんど金の貯えもなかった私が、
家を買ったり店を出したりするのに、場所を選べる状況ではなかったのだ。

当時はまだ私が自分で市場に毎朝仕入れに行き、
仕込みから開店の準備、調理、経理、片付けまで全てをこなしていた。

オープンから2年後には、店の2階を改装してカラオケバーも始めた。

私は、朝の8時までには市場に出向き、それからカラオケバーが終わる
夜中の2時までぶっ通しで働いた。
その後も伝票の整理や経理の仕事をして、家に帰ってそのままベッドに
倒れ込むのが明け方の4時・・・・
そしてまた朝8時の仕入れに間に合うためには、
家を6時半には出る必要があった。


睡眠時間は2時間。

いくら若かった私でも、こんな生活を続けるのには無理があった。

案の定、ある日私は帰宅途中に居眠り運転で事故を起こしてしまう。
幸い、相手は路側帯に生えている木であったため、怪我人はなかった。

衝突した2本の木は、ぶつかった衝撃で倒れたため、
車(バン)は、無残なカタチで廃車になったが、私自身は怪我を間逃れた。

この木がコンクリートの電柱であったら、
私は間違いなく死んでいたに違いない・・・


潰れてしまった車を見つめながら、私は考えていた。

「どんなに必死で働いても、死んでしまったら何の意味もない・・・・」

それは当たり前のことではあるが、
当時の私は仕事に夢中になり過ぎて、そのことを忘れていた。


それからの私は、少しでも多くの睡眠時間を取るために工夫をした。

スクラップになってしまったこれまでのバンよりも、
もっと大きな中古バンを購入し、荷物を載せるスペースの他に、
さながらキャンピングカーのような仮眠の出来るスペースも確保した。

週末以外のときは、バーでの仕事を終えてから帰宅せずに
直接市場に行って、そこの駐車場で車の中に寝ることにした。

経理の仕事は昼の暇な時間に済ませるようにしたので、
市場には遅くとも夜中の3時には着いた。
朝の7時に買い入れを始めるとしても、4時間は寝れる。

私の店の屋根裏にはどういう訳かシャワーも付いていたし、
車の中で寝ることも、慣れていたので、
私にとっては、何も問題はなかった。

だが、そんな私の「工夫」は、当時の妻には理解されていなかった。

元々2週間の交際だけで一緒になってしまった相手だったので、
お互いの名前は知っていても、考え方や生き方も、
それまでの生活環境やバックグランドさえも何も分からなかった。

彼女にとっては、全てが計算違いだったのかもしれない・・・

まして、レストランという過酷な自営業となってしまった私の仕事や生活は、
サラリーマン家庭に育った彼女にとっては、
想像すらできなかったはずである。


彼女には家を預け、子供の世話に専念してもらい、
充分な生活費を入れていたが、彼女の不満は私の不規則な労働時間も
ひとつの原因となっていたようだ。

毎日必ず決まった時間に帰り、週末には子供を連れて遊びに出かける・・・
そんな生活を期待していたのかもしれない。
現に私は、子供のオシメのひとつも替えた事がなかった。

彼女はよく私に言っていた。

「子供とあまり接しないから、子供があなたになついていない」と・・・

しかし、それは勘違いである。

私には、息子の気持が手に取るようにわかる。
父親と息子のリレーションは、共に過ごす時間だけでは計れない。
そこには女には理解できない男同士の「絆」が存在する。

どんなに仮面をかぶって夫婦をやっていても、子供というのは敏感に
父と母の関係を見抜くものだ。

関係の悪い夫婦の間に立たされる子供は、子供なりに気を使うものなんだ。

私もそうであったが、仮面夫婦の子供(男子)は母親の目の前で、
父親に甘えようとはしない。
それは、母親と関係の悪い父親に甘えることを、父親ではなく、母親に対して
遠慮しているからだ。

私の息子も母親のいる前と、そうでないときの私に対する態度は
まるで違う・・・
母親は、そんな父と子を見て、「なついていない」などと心配する必要は
まったくないのだ。

まあ、あくまでもこれは特殊なケースで、
一般的な家族には当てはまらないだろうが・・・


今も昔も、私の「理想の父親像」は変わっていない。

「家族団らん」も大切なことだろう。
確かに私もガキの頃は、他の父子のようにキャッチボールのひとつも
したいと思ったことはあった。

自分の父親に頭を撫でられたこともない・・・

でも、そんなことよりも、たとえ側にいない父親でも、
男として、母親や俺達を守って欲しかった・・・・

遠くにいても、家族を守れる男だけが、
「父親」と呼べるものだと・・・今でもそう思ってる。


私にとって、その手段は仕事以外の何でもなかった。
それが正しいとか間違っているとかは別として、
私にはそんな生き方しか出来ないのだ・・・・

息子の母親は、ことあるごとに私に噛み付いてくるようになり、
次第に家の中は散らかり始め、ささいなことで口論することが
多くなっていった。

夫婦喧嘩ほどエネルギーを使って、無駄なことはない。

よく分からないが、女というものは、ああいう生き物なのだろうか・・・

昨日「青」だと言っていたものが、今日になると「赤」だと言って
発狂する。

私は大抵の挑発にも乗らずに、右から左へと受け流すように勤めた。
何よりも、子供の前で喧嘩することだけは、避けようとしていた。

しかし、あるとき私はそんな彼女の挑発に乗り、
子供のいる側で、彼女に怒鳴り返してしまったことがあった。

彼女はまるで噴火山の如く爆発して、わめいていた。

理由など覚えてやいない・・・

所詮そんなものである。

きっと私も怒鳴り散らしていたのだろう・・・・


その時、口論中の私と彼女は、気付いてはいなかった・・・

5歳の息子は、泣きながら歯を食いしばり、両手を合わせ、
身体を震わせながら、どうしていいのか分からずに
辺りをウロウロとしていた。


そして、息子は顔をクシャクシャにしたまま、
震えた声で必死に私達に向かって叫んだ。


「ごめんなさい!! ボクが・・・ボクが悪かったから・・・ごめんなさい!!」


私は、息子のその言葉を耳にした瞬間、
背筋が凍りつくような感覚を覚えた。
腕には鳥肌が立ち、一瞬にして涙が溢れた。


息子の口から出たその言葉は、何十年もの昔・・・
そう・・・私が5歳のときに口にした言葉、そのままだったからだ。

その瞬間、私の脳の中で封印されていた当時の記憶が
走馬灯のように蘇ったのだ。


我々の夫婦喧嘩の理由など大したものではないし、
まして息子のせいでもなければ、息子が原因のものでもない。
当然、息子もそれは知っている。

だが、自分を悪者にしてでも、とにかく父と母の喧嘩を
食い止めたかった・・・・
いや、自分にはどうしようもできない状況の中で、
今ある悪夢のような状態から脱出する方法が見つけられないままに、
口に出てしまった言葉・・・・


そして、息子はその後に、嗚咽しながらも精一杯言った。

「いい子になるから・・・お願いだから、喧嘩しないで・・・」

私は、自分が恥ずかしかった。

自分の幼少の頃の感覚を身にしめながら、息子の側に寄り、
息子を強く抱きしめた。

息子の母親は、そんな私の姿を見ておとなしくするどころか、

「何を急にそんなに良い父親の真似をするわけ?  
普段は家にもいないくせに、そうやって父親ぶってんじゃねーよ!」

そう言って、依然とわめいていたが、私にはもう彼女に言う言葉は
何もなかった。

私の中で、何かが吹っ切れた時だった・・・


元々ほとんど接点のない夫婦ではあったかもしれないが、
たとえそれが仮面夫婦であったとしても、
たとえそれが空想の家族であったとしても、
子供のためには、それで良いと思っていた私の気持が
間違いだったと、そう気付いた瞬間だった。


考えてみれば、幼少期の私にとっての不幸は、
父親がいないことではなかった。

今の私と、当時の私の父親との状況はまるで違うが、
もし、自分の父親が家に帰らなくても、たとえ離婚したとしても、
母親に危害を加えない父親ならば、私も、もう少し親父のことを
理解できていたに違いない。

   --------------------------------------------


さて、私がしばらく自分の記憶から抹消していた時間・・・

5歳だった時の頃に話を戻そう・・・・

                   続く


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コメント

私は幼い頃の記憶がない・・・思い出せないのかな
あなたと似たような境遇です

夫の心・妻の心が 少しだけどわかります
少しだけと書いたのは 夫婦の事は他人には 理解できない「深い愛」があるからです

子供の親としては精一杯の愛情をそそいでも
夫&妻の愛は うまく伝えられなくなってしまった
ごめんなさい!うまく文字では10%も表現できなくて 残念です 

投稿: 紅弁天 | 2008年12月14日 (日) 09時37分

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