ハジキ
この銃社会のアメリカでも、銃を絶対に持たない主義の人間達もいる。
私も、その1人だ。
近所のマーケットに行けば、簡単に銃が買えてしまう。
クリスマスセールスになれば、値引きもできる。
アメリカと言う国は、本当に学べない国(人種)である。
自分の家族や身内が、銃で殺されたり、あるいは殺してしまったりしたら、
銃が氾濫している世の中の怖さが少しはわかるのだろうか・・・・
米国の全殺人の68%は銃によって起きている。
ちなみに日本でも3%を超えてしまった。
日本で人が銃によって殺されれば、きっと大きなニュースになるはずである。
先日も、日本の警官が誤発砲した(怪我人はなかった)ことが
国内のニュースになったが、米国では、警官が間違って民間人を撃ち殺したって、
何らかの理由を付けられ、事件そのものが表に出てこないこともある。
米国では1日に約90人、年間に3万人以上の人間が、
銃によって命を落としているのだ。
「人間を殺すのは、人間であって銃ではない」
という「全米ライフル協会」のスローガンは、苦し紛れの屁理屈である。
国民が銃を持ち、また戦争が始まれば得をする連中が、この国を
仕切っている限り、この国から銃がなくなることはないだろう。
「そんな危ない世の中だからこそ、銃を持つ」
と言うのが、多くの米国人の考えだ。
問題の根っこを取り除くより、その問題にどう対処するか、で全てが終わる。
自分が殺されるか、誰かを殺すまで、それは変わらないだろう。
誤解のないように説明する。
たとえば、私は日本国から米軍を追い出し、日本の自衛隊が独自の
軍事力を強化することには賛成である。
むしろ、憲法を改正して、自衛隊を軍隊にする必要があるとさえ考えている。
個人が銃を持つことに反対の私が、国軍に銃を持たせることに賛成することは、
矛盾しているように聞こえるかもしれない。
しかし、国が武器を持つことの意味は、戦争をするためではない。
実際に国自体が武器(核兵器)を振りかざし、ギャングと化している国が存在する限り、
戦争を起こさせないための抑止力が必要なのだ。
一般人にそれが当てはまるとは思わない。
貴方がギャングやマフィアの構成員なら話は別である。
対立する組織や組員から身を守るために、貴方は武器を備えるべきである。
また、それを取り締まる立場の人間(組織)なら、当然、それ以上の武器を持つ
必要があるだろう。
しかし、私の言っている本当の銃の怖さは、ギャングの抗争で撃ち合うことではない。
子供も含め、一般人が些細な事で人を撃ち殺したり、殺されたりすることなのだ・・・
単なる事故も多い。
何も分からない赤ん坊だって、引き金を引けば弾は飛ぶ。
その先に兄弟や家族がいれば、相手は死ぬし、自身を撃ってしまう事だってある。
現にそういった事故は頻繁に起きている。
小・中学校に銃を持ち込む生徒もいる。
自分の胸に手を当てて、よく考えて欲しい。
これまで生きてきて、人を憎んだり、殺したいという感情を持ったことはないだろうか。
いや、むしろ他人にされたことで、突発的に「カーッ」と頭に血が上ったことくらいは
あるはずた。
私の場合、小・中学生の頃は毎日のように喧嘩に明け暮れていた時もあったが、
当時は、喧嘩を売る方も買う方も「喧嘩道」(喧嘩のルール)をわきまえていたので、
お互いに殺さずに喧嘩に勝つ方法を知っていた。
大人になった今でも、たとえば車を運転していて他の車にあおられたり、
クラクションを鳴らされて言い争いになったり、騒音で怒鳴り込みに行ったりと、
後から考えれば些細なことでも、その瞬間は冷静になれないときもあるはずだ。
私は、決して気の短い方ではないが、そんな私でも頭に来ることもあれば、
実際に喧嘩になってしまうこともあった。
そんな時、もし、
自分が「ハジキ」を持っていたら・・・・・
そう考えれば本当に恐ろしいのだ。
私はカタギの一般人だか、それでもそんな状況はいくつもあった。
そこに「銃」があれば、間違いなく私は殺されているか、殺人を犯していたかの
どちらかである。
「ドラッグ」によって死んでしまった友人がいることは、以前に書いたが、
中学時代に、ある抗争事件で人を殺してしまった友人がいる。
それは、「銃」によってではなかったが、当然、殺人罪として鑑別所送りになった。
もし逆に友人が相手に殺されていたら、俺達はどうしていただろうか。
復讐のために、相手を殺しに行きたいと思っていたかもしれない。
きっとそこに銃があれば、自分でなくても誰かが報復にでただろう・・・
だが、殺人を犯してしまった友人の、残された家族のその後の苦悩を
目のあたりにして、ガキながらに思ったことがあった。
殺された人間の命は戻らない。
その家族も、周りの人間もずっと不幸を背負い込む。
しかし、殺してしまった人間や、その家族もまた、いつまでも
不幸を背負い込み、生きていかなければならない。
人の手によって、人が1人死ぬということは、多くの人を不幸にし、
いろんな人間の人生を変えてしまう。
そんなことが永遠に繰り返されていくだろう・・・
私に限らず、今こうして冷静に考えていれば、
「たとえあの時、目の前に銃があっても、私は撃たない・・・・」
そう考えるはずだ。
しかし、人間はとっさの時に、そんなに感情を上手くコントロール出来るものではない。
それは、毎日のように一般人が人を殺し、そして殺されているこの国を見れば、
答えは明白である。
私は以前、護身用に「日本刀」や「ドス」を車の中に携帯している頃があった。
幸い、それを使うことはなかった。
いや、正確に言うと使う勇気がなかった。
「刃物で人を切る」
というのは、かなりの覚悟がいるものである。
よく、ハッタリで「日本刀」を振り回す奴がいるが、
私の知る限り、そういう奴は間違いなく人を切ったことはない。
刀の持ち方も知らない人間に多い。
これでも私は「剣道」の有段者である。
「真剣」も扱ったことがある。
相手が「日本刀」を持って来ても、相手がよっぽどの「武術家」でない限り、
私は「木刀」一本で勝てる自信はある。
むしろ、相手を殺さずに勝つためには、真剣よりも木刀の方が有力だ。
木刀でも、打ち所を狙えば殺傷能力は高いが、要するに加減がしやすい
という意味である。
先日、テレビで「世界最強の武器は何か」という番組があって、
科学的に検証した結果、「日本刀」が選ばれた。
間違いではないと思う。
刀の刃に向けて弾丸を飛ばしたら、弾丸が真っ二つに割れた・・・・
というだけのことだ。
刀の威力は確かに大きい。
実践においても、かなりの戦闘能力がある・・・
だがそれは「武術家」が扱えばの話だ。
まして、「宮本武蔵」のように、同じ刀を持った相手を100人切る、
などというようなことは、現実的に不可能である。
俗に言う「チャンバラ」をして、人を2~3人も切れば、刀の「刃」は
もう、ボロボロになってしまう。
剣道で使う「竹刀」というのは、衝撃を少しでも和らげる作りになっている。
しかし、その上に全身防具を着て勝負をしたとしても、
身体中アザだらけになるほど、痛くて苦しい。
最近の日本でも、そんな「痛み」を知らない若者達が喧嘩をして、
木刀や金属バットなどで頭をかち割ったり、
倒れこんだ相手の頭をサッカーボールのように蹴り続け、
気が付いたら相手が死んでいた。
などの事件も多い。
要は、喧嘩の仕方(加減)を知らないのである。
喧嘩は殺人ではない。
そう考えると、恐ろしいのは「銃」だけではないのかもしれない。
だが、「ハジキ」から飛んでくる弾は、誰が撃っても加減など存在しないのだ。
私の周りでも、ハッタリで「ハジキ」を持っている人間は、残念ながら多い。
ただ、「銃」という武器は、ハッタリとして持つには、危険過ぎるということに
気付いて欲しい。
「武術家」でなくとも、ほんの一瞬の感情と、引き金を引く指一本で、
人は簡単に死んでしまうのだから・・・・・
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